RUDIMENTS

INTRODUCING THE AKOYA AFROBEAT ENSEMBLE

DDCA-2002
CAT – DDCA-2002  
FORMAT – CD   
PRICE – 2520YEN (tax in)
RELEASE – 2005.8.19


TRACK LIST
1. AKOYA CHANT
2. U.S.A. (Unilateral System Of Attack)
3. MUTINY
4. PELOTERA
5. STAR WARS
フェラ・クティという男がいた。ナイジェリアで生まれたフェラは、音楽大学に通うために滞在していたロンドンでジャズを聴き、帰国後、ガーナでハイライフの流行を目の当たりにする。69年、フェラはアメリカに渡り、アメリカの聴衆がアフリカ人の演奏家に対して求めるのは、ジャズの影響下にあるハイライフではなく、より民俗的なものであることに気付き、同時にサンドラ・スミスという女性を通じてマルコムXやブラック・パンサーの活動を知り、黒人の窮状とアフリカの歴史に向き合うことになる。
 70年以降、フェラはナイジェリアのラゴスにコミューンを構え、後にシュラインと呼ばれるナイトクラブを開き、ライヴの拠点とする。自らのバンド(71 年以降はアフリカ70、82年以降はアフリカ80)を率い、演奏を通じて、アフリカ人としての意識を強く持ち、ナイジェリアおよびアフリカの現状を告発し、そこで行われている政治の腐敗を非難していく。74年に設立した「カラクタ共和国」というコミューンは政府や軍による襲撃にあい、フェラ自身もマリファナ吸引や殺人共謀などの容疑で逮捕・投獄されるが、フェラはこれらの事態をも歌にしていく。97年にフェラがこの世を去るまでに残した音源は、アルバム約80枚におよぶ。録音した曲はライヴでは演奏しない。ごく初期のものを除き、その多くは、フェラのサックスやオルガンに導かれ、引き摺るような粘りのうねりが生まれ、ブレイクを挟みながらコーラスやホーン・セクションが加わり、フェラの歌に突入、さらにコーラスやホーンとの掛け合いを持続させ、突入、さらにコーラスやホーンとの掛け合いを持続させ、またもや長いサックスのソロへ…といった構成だ。
このフェラ・クティの音楽を「アフロビート」と呼ぶ。渡米前から、フェラは「アフロビート」と自分の音楽を名付けていたとトニー・アレンは言う。少しずつ明らかになりつつある60年代半ばの音源からは、既にフェラは自分のスタイルを確立しつつあったことが窺える。
 アコヤ・アフロビート・アンサンブルというバンドの名前の「アフロビート」という言葉は、単なる音楽のスタイルではなく、フェラの音楽と、闘い続けた人生が封じ込められている。
 アフロビートは、たとえばファンクの帝王ジェイムズ・ブラウンにも影響を与えた。ロイ・エアーズやレスター・ボウイやジンジャー・ベイカーはフェラのもとを訪れ共演盤を残している。最近になって発掘が進むガーナやベナンなどの音源にも、フェラの影響を感じる曲が含まれている。タリブ・クウェリは、98年にモス・デフと共に来日した時の取材で手渡した『ミュージック・マガジン』にフェラのCDが再発されるという広告を見つけるやいなや買いに出かけようとした。ルイ・ヴェガやティミー・レジスフォードはフェラの曲をDJで使っている。DJフローロのコンパイルで『アフロビート共和国Afrobeat)』というCDもある。もちろん、フェラの息子達は、アフロビートを継承している。
 しかし、フェラの音楽はまだまだ正しく評価されていないし、知られてもいない。日本では『ゾンビ』や『ブラック・プレジデント』の頃にフェラの名前はある程度広がったし、必死に探せばLPも手に入れることが出来たけれど、ルイ・ヴェガですら、フェラを知ったのは91〜92年だったらしい。
 「アフロビート」を自分たちの名に含めたグループが、少しずつ目に付くようになったのは、ごく最近のことだ。たとえばベルギーからは、ベルジアン・アフロビート・アソシエーションというグループが現れた。
 そしてNYにはココロ・アフロビート・オーケストラ(Kokolo Afrobeat Orchestra)、アンチバラス・アフロビート・オーケストラ、そしてアコヤ・アフロビート・アンサンブル(AAE)がいる。e-mailでヨシとカレタに答えてもらったことも参考にしながら、AAEのことを紹介してみよう。
 ホームページにアコヤ・ファミリーとしてクレジットされているのは、以下の11人。
・Yoshi Takemasa(Congas)
・Carlos Icaza(Drums)
・Gabriel Hays(composer/keyboard)
・Steve Lustig, a.k.a. Rhino Blanco
(electric guitarist/composer)
・Kaleta(percussionist/vocalist/composer)
・Felix Chen(bass)
・Duke Mseleku(tenor sax)
・Yoshio Tony Kobayashi, a.k.a. Tony Afro
(shekere/percussion)
・Will Jones(Baritone Sax)
・Kelly Pratt(trumpet/flugelhorn)
・Jared Tankel(baritone sax)
 日本人もいれば中国系アメリカ人もいる。カレタはナイジェリア生まれ、イカサはパナマ生まれ、ムセレクは南アフリカ生まれ。メンバーの多くは、90年代の後半にNYCに移住してきた。二人の女性シンガーを合わせると、年齢も25歳から50歳までの幅がある。
 02年3月、ココロ・アフロビート・オーケストラの演奏活動のなかで集まった6人(うち現在もアコヤのメンバーとして残っているのはSteve, Gabe, Yoshi、Carlosの4人)が、より自分たちの意見が反映されるバンドを求めてバンドを脱退し、ココロのオーディションで知り合っていたカレタを迎えるところからAAEは、始まる。ヨシと中国系アメリカ人のチェンが運営の中心となり、カレタが音楽的な面での中心となる。
 「アコヤ」の意味、名付けた理由をカレタに聞いてみた。
 「ヨルバ語のAgbekoya(政府による不当な税金に対して、謀反を起こした農民たち)からの引用で、“不当な摂取を拒む”という意味です。名前を決める時、いくつか候補が出た後、ヨシから日本語にも真珠を作る“アコヤ”という貝があると聞きました。この貝も外からの不当な摂取を拒んでいると…。不思議な共通点があるのでこの名前にしました」
 音楽的な中心となるカレタは、87年から91年のUSツアーまで、ギタリストとしてフェラのエジプト80のメンバーだった。
 「フェラのバンドでの経験から、音楽にはどんな武器よりもパワーがあり、特に政治的問題において、真の武器であるということを学んだ。もちろん音楽的に学んだこともたくさんあります」
 フェラから学んだものを、カレタは自分なりにAEEのメンバーに、そしてAEEの音楽を通じて世界に発信する。
 「私が世界に発するメッセージはフェラのものとそれほど変わりありません。アフリカは文明の発祥地であるにもかかわらず、まだひどい貧困に冒されている。人々をその苦しさから解放するために、私の場合音楽によって何かを成されなければならないとおもっています。アコヤにおいての私の詞は、アフリカの人々の生活状況とその恐怖を暴露している。これらの歌はアフリカの政治家達の邪悪な心を突き刺し、そして彼らが人々をその束縛奴隷制から解放すべく明確な地図を得る事を真剣に考えてくれればと望んでいます」
 ヨシがフェラの音楽を聞いたのは、渡米の翌年となる97年のこと。「その当時よく遊んでいたマリ人の友達にCDをもらったのがきっかけです。感想は、かっこいいけど1曲長いな〜って。アフリカ人以外のメンバーは、このバンドに入ってから少しずつフェラ/アフロビートを理解していったようです」
そして、アフロビートの「人種に関係なく入っていけるところ」に惹かれた。実際、さまざまな人種が集まって、AAEは活動しているわけだ。
 「言語、宗教、自分の育ってきた国の環境などの文化的背景の違い以外にもたくさんの壁があります。それらに加え、13人という大人数! まとめていくという事が非常に難しい状況にある中で、人種のるつぼである”ニューヨーク”でしか存在し得なかった AEEの持つ可能性が僕らを強く結び付けてくれています」 AAEは、フェラがいない時代ならではの、ニューヨークならではのアフロビートを作り出そうとしている。「U.S.A.」のような曲は、アンチバラスの「フー・イズ・ディス・アメリカ?」同様、ラゴスではなくニューヨークだからこそ生み出されたメッセージだ。
 「まだアフロビートは発展途上だと僕らは考えています」とヨシは言う。このアルバムは、AEEなりの「発展」の最初の一歩だ。ちなみに、アルバムに収録されている曲は、アフロビートとしては短いけれど、現在のAAEのライヴでは、1曲が30分を越えるようになっているらしい。まずはこのアルバムを聴いて、どれほど発展させることができたのか、これからどれだけ発展する予兆を含んでいるのか、それぞれに判断してほしい。そして、AAEからのメッセージを受け取り、アメリカと、アフリカと、ぼくたちが住む日本の現状に思いを巡らせよう。聞き手であるぼくたちもまた、発展途上なのだ。

斉木小太郎(『ミュージック・マガジン』編集部)

Modified Date: 2011年11月19日